こんにちは、かつです。
13回転職し、数種の業種や職種を経験しました。
キャリアの一貫性はないですが、経理の専門学校で簿記の資格を取った経理関係の職歴の年数が一番長いです。
これらの経験から得た洞察を共有し、皆さんのキャリア形成に役立つ情報を提供したいと思っています。
皆さんのキャリアにおいて参考になれば幸いです。
以下は簡単な経歴です。
高校
1970年代でしたがこれからはコンピューターの時代が来ると予想して、高校はコンピューターなどを学ぶ工業高校の電子科に入学しました。
しかし、難しい授業についていけなくて、コンピューター系の仕事につくのは断念しました。
専門学校
何か資格を取ったほうが強みになると思い、税理士の資格がいいのではないかと判断して、税務会計科のある専門学校に通いました。
2ヶ月で日本商工会議所簿記検定2級を取った後、全国商業高等学校協会簿記検定1級と全国経理教育協会簿記検定1級の資格を取りました。
日商1級をもっていないと税理士の受験資格がなかったのですが、難しい授業についていけず、学校の寮でも勉強が不十分だったので、2年間の専門学校の在学中には日商1級を取ることは出来ませんでした。
就職
電気店
勉強で2度の挫折を味わいましたが、簿記2級の資格を活かして電気店の経理に就職しました。
仕事は経理だけではなく、屋根の上に登ってアンテナを設置したり、冷蔵庫を運んだりもしましたので将来性に不安を感じてやめました。
印刷工場
次の仕事は、体力的に自信はありませんでしたが技術を身に付けようと思い、自宅から近くて通勤にも便利だった印刷工場に勤めました。
印刷工場では昼夜3交代制で日勤・夜勤・休みというサイクルで働きました。何十メートルもあるオフセット印刷機でフルカラーのチラシなどをチームで作りました。
印刷工事での新人の仕事は何百キロもあるロール紙を印刷機にセットすること、印刷が終わったインクがついたブランケットをガソリンで洗う仕事でしたが、手の指はインクの色が取れなくていつも真っ黒でした。
仕事中に高速回転しているブランケットに指を挟まれて指を潰して、入院する人もいて危険が隣り合わせの仕事でした。
印刷機が動いている状態のまま用紙の位置を合わせたり、見本の色の通りに再現するのは、まだ自分はやっていませんでしたが、印刷は面白い仕事でしたし、職人気質のユニークな人も多かったです。
会計事務所
印刷工場での勤務を親が心配してくれて、せっかく簿記の資格をもっているのだからと、会計事務所の求人の新聞の切り抜きをくれました。
もう一度税理土を目指そうかと思い直して、親がくれた新聞の求人の切り抜きの会計事務所に面接に行って採用されました。
会計事務所職員として税理士補助をしながら実地で仕事を学びながら、税理士になるための勉強を通信教材を買ったり、前とは違う専門学校に通学しながら勉強しましたが、結局また挫折しました。
税理士法が改正されて、現在は2年以上の実務経験で税理士試験の受験資格を有することができます。
当時の税理士試験の受験資格要件は、税理士事務所の業務補助が5年以上だったので税理士の受験資格がないままやめてしまいました。
今にして思えば、自分は諦めるのが早いほうなので一度でダメでも、もう少し頑張って勉強していればよかったのかなと思います。
お菓子の専門問屋
そのあと、お菓子専門問屋の営業事務に勤めました。
支店長から丁寧に教えてもらいましたが、5日で辞めました。
不動産会社
高給につられて不動産会社で土地付き一戸建て分譲住宅の営業に転職しました。
しかし1件も家を売ることはできなく、性格的にも向いていなかったようだったので退職しました。
会計事務所
職務経験のある仕事として会計事務所勤務があったので、前とは違う会計事務所に転職しましたが、こちらもなぜか長続きしませんでした。
中華料理店
しばらく自宅にいましたが、このまま働かないとまずいと思って、この際なんでもいいので働こうと思って、結構大きめの中華料理店のホール主任として職に付きました。
筆者は占いの四柱推命でみると、食の神様が付いているので、食べ物系は合っているようで、数百名の宴会の準備やお客様の目の前で魚を切り分けたりをドキドキしながらやりました。
IT業界に転職チャレンジ
28歳の時には、IT業界に転職しようとして、当時、資本金3億円のかなり大きな企業に応募しました。
面接と採用試験が合格して、最終面接で代表取締役から35歳定年説を聞かされました。
運良く、最終面接も受かって採用されたのですが、頭の片隅にIT業界の35歳定年説が残っていたので、熟考の末に結局辞退してしまいました。
今にして思ってもせっかく採用していただいたのに、辞退するなんてもったいなかったと思います。
計測機器卸売会社
その後、最初の会計事務所のクライアントだった、計測機器卸売会社の経理に就きました。
社長やご家族の方々に良くしていただいて働きやすかったのですが、後述の先輩からのお誘いで辞めました。
総合レジャー経営会社
最初の会計事務所で一緒に勤めていた人生の先輩から、転職エージェント経由で転勤したが、新しいプロジェクトの立ち上げなので手伝って欲しいとの依頼を受けました。
今、世話になっている計測機器卸売会社の社長への申し訳無さもありましたが、総合レジャー経営会社が大きい会社だったので、自分を成長させるチャンスだと思い、オファーを受けました。
そこで総合レジャー経営会社の経理の仕事の新規立ち上げに参加して、いろいろ経験することができました。
新規プロジェクトでしたが、経理はある程度形が決まっているので、会計事務所にいたころの経験が活かせました。
忙しくてバタバタしている仕事も楽しくやり抜くことができました。
その後、立ち上げも落ち着いて、その会社では、経理と並行して新卒採用も担当しました。
社会保険や給料計算もやりましたが、やはり会計事務所での基礎があったので、難なくこなすことができました。
京都のお寺
4年ぐらい経過したころ、会社には何の不満もありませんでしたが、昔から僧侶になりたいと思っていたことを思い出して、京都のお寺で修行僧として修行しました。
しかし、修行についていくことができずに挫折してしまいました。
総合レジャー経営会社
お先真っ暗な筆者は、なんとか前の、総合レジャー経営会社の経理の仕事に戻れないか、会社と連絡を取った結果、ちょうどタイミング良く出戻り転職の願いが叶いました。
出戻ってからは、さらに一生懸命に働きました。
転勤もあったりしましたが、一身上の都合により退職しました。
派遣会社
そのあとは自営業をやりながら派遣会社2つで、某コンビニエンスストアの弁当やスイーツを作っている工場勤務や、飲料の出荷作業などを経験しました。
転職の数
出戻り転職を含め、正社員と派遣社員で在籍した企業は13社、今は14社目のいちおう個人事業主なので、転職回数は13回になります。
一般的には転職回数に含めないアルバイトもを含めると転職回数は20回になり、平均的な数からすると多い方になると思います。
ブログについて
話は変わりまして、終身雇用や年功序列といった制度が崩壊しつつある今、大転職時代の到来が予測されています。
そんな関係で、このブログのタイトルも「大転職時代」から拝借して「転職の時代」にしました。
若い時に転職回数が多くてもなんとかなりますので、ぜひ転職がんばってください。